ombroある交錯点に向けての日常と制作の記録。

いわき市の小名浜で開催されたArt!Port!Onahama2007へのombroの参加は無事終了しました。
9月13日から毎日会場を訪ね、付近の観光をしたり、釣りをしながら地元民との交流を重ね、16日を迎えました。

会場は、「いわきららみゅう」という市場を改装した観光物産センターと、海洋博物館「アクアマリンふくしま」というふたつの巨大観光施設に挟まれた倉庫で、目の前はすぐに内湾です。倉庫の前では毎夕、地元の老人たちや子どもたち、若者がアジやサバを釣りにやってきます。15日、16日には倉庫前の通路で、「マリンフェスタ」という町おこしの一大イベントも同時開催され、たくさんの屋台が並び、サンマ計2000匹が無料で振る舞われ、ライブもあり、カジキマグロ釣りのトーナメントもあり、たいへんな賑わいでした。

「マリンフェスタ」から人が流れてくることもあり、通りがかりの人に音のインスタレーションを体験してもらい、ライブで足を止めてもらい、フォーラムでは地元の人たちとダイレクトに言葉を交わすことが出来ました。ありがとうございました。

大阪に戻る車中で話をしていたことは、あの倉庫という建物とその土地が持つポテンシャルについてでした。例えば、僕たちも地元民に混じって釣りをして、そのことで仲良くなった少年が、次の日から倉庫にきて遊んでいくようになりました。あるときは、舞踏家が踊るために敷き詰めたもみ殻で山を作ったり、絵を描いたりしていました。あるいは、展示されている砂の作品にいたずらをしたり、空中に吊られている鉄球を揺らして遊んだりしていきます。展示作品で遊ぶなんてことは、かしこまった展覧会場ではあり得ない光景で、僕はちょっとした感動すらおぼえました。そんな光景が、会場の倉庫では何度も何度も見られました。また、やってくるのは、その土地で暮らす子どもたちで、日常の延長として倉庫にやってきて、道草を食うように、アートを体験していくのです。
大阪でもアートスペースに子どもが訪れることは珍しいことではありません。でもそれはアート好きな親か、教育熱心な親か、親がアーティストか、そういう特別な親を持つ子どもが連れられてやって来るのです。近所で遊んでいる子どもたちが興味を持って自発的に会場に入ってくることはまずないでしょう。
Art!Port!Onahama2007の会場の「敷居の低さ」、これはものすごく貴重で、可能性に満ちていると感じています。未開な分だけ、特に子どもたちは、遠慮なく踏み込んで来るし、何の構えもなく体験していく様子は、数多のギャラリーやオルタナティブスペースを有する大阪でも、滅多に遭遇できるものではないでしょう。そのことは、フォーラムでも言及しました。

イベント後、フォーラムを聞いていたあるアーティストから電話があり、「アートの敷居を低くすること」「エントランスを広げること」など、フォーラムでの話題となったことへの強烈な抵抗感が語られました。「アートを砂場化するな」というのです。人間は容易に言語化できないほど複雑で、悩みに満ちていて、煩悶しながら日々を生きていて、それを表象するための芸術なのだと彼はいいます。もちろん、そういう芸術もあると、僕は認めています。

僕は「限界芸術」という考え方を思い出します。鶴見俊輔という哲学者によるもので、彼は芸術を三つに分類します。それは「純粋芸術」(Pure Art)、「大衆芸術」(Popular Art)、そして「限界芸術」(Marginal Art)です。
「純粋芸術」はクラシック・バレエ、交響楽、印象派絵画、古典文学といった、ほとんど限られたエリート層の間でしか消費されない「ハイ・カルチャー」のことです。
「大衆芸術」は、ポップソング、エンターテイメント映画、大衆小説など、産業を経由して、ひろく大衆に親しまれるものです。
さて、「限界芸術」はというと、非専門家によって作られ、非専門者によって享受されるもっとも目立たない様式で、生活様式でありながら芸術としての側面をもっている分野のことです。ヒトが日常的に生産するさまざまなもの、例えば鼻歌、竹馬、労働歌、早口ことば、酒の飲み方、泣き方、服の着こなし方、拍手などなど、様々なものが含まれます。

目立たないものであるがゆえに評価の難しい「限界芸術」にこそ、僕はいま最も関心を寄せ、可能性を感じています。「純粋芸術」の展覧会を目指したはずのArt!Port!Onahamaが、立地的な事情から子どもたちの遊び場に変容し、そのことに僕はぞくぞくとした気持ちを味わいました。「限界芸術」への接触があって、それが「純粋芸術」や「大衆芸術」へのエントランスとして機能していたのです。アートプロジェクトおいて、「限界芸術」を意識的に扱うことに成功すれば、地元で生活する人々の主体的で積極的な参加を促す魅力的なインセンティブとなり得るのではないでしょうか。

すべての表現を、すべての芸術を、砂場化すればいいという議論ではありません。Art!Port!Onahamaという展覧会において、単に「作品」に収斂されない様々な要素をアートの文脈で包容することで、倉庫のポテンシャルをさらに引き出し、魅力的な「2008」につなげることができるのではないかと考えているのです。

いわきでの滞在は、たくさんの持ち帰るものがありました。
またombroでも話し合って、今回の経験を「次」に生かしてたいと思います。

横山千秋 2007-09-24 23:24:47